みなさん、こんにちわ☆
暑い日が続いていますね☆
まだなんとなく・・・梅雨明けはされていないですが、
本格的な夏がやってきているそんな感じがあちらこちらで・・・
太陽さんの光が、キラキラからギラギラさんへ。
公園などの木からは、たくさんのセミの声が聞こえます。
各地のお祭りのポスターが貼りだされはじめたりと・・・
『夏』がやってきています!!
いいですね☆夏!!
熱いッス!!
え〜と!!
まずは!
皆様にいいご報告☆
たぶんどこにも出ていない情報GET!!
9月にwowowで!!
『空中ブランコ』再放送決定!!
まだ日時は発表されていませんが、9月の番組表に出ますので!
また分かり次第☆情報載せます!!
これは、wowowさんにリクエストのメールを送ったのです。
そのお返事が来ていて、の情報なので!
間違いないと!思いますので☆
今度は必ず!!
失敗しないです☆
これで少し元気になれました(^-^)
実は今日は寝込んでいます。。。
東京の帰りのバス。
クーラーに体調崩されてしまった私。。。
帰ってきて昨日までは、新しいお仕事を覚えなければいけなかったのもあり、
体調はあまりよくなかったのですけど、出勤しておりました。
昨日お風呂に入った時に、寒気がするなと思っていたのですが、
寝たら治ると!気合いを入れたのですが・・・
今日出勤してからの事。
ぐるぐる眩暈が止まらないし、寒気もすごい。。。
このままだと帰れなくなる。
お昼になる前に早退です。
帰ってきて、さっきまで薬を飲んでぐっすりと。
少しスッキリして、ちょっと息抜きにと、
PC触っています。
明日は、午前中は以前からお休みを頂いているので、
少し楽☆
体調あまりよくなければ無理はやめて、一日お休みする予定。。。
ちょっと、思いました。
週末遠征入れていなくて良かったと・・・
入れてたら、きっと向こうで倒れてる。
ホントは行きたくて仕方ないけど…
体調の事があるので無理はできません(;_;)
今回はいけないのが寂しいけど、大人しく家で療養☆
まぁ・・体調悪いのは今に始まったわけではなく・・・
ここ最近ずっと調子が本調子ではありません。
自分では、自覚しないようにしてたけど。。。
自分に嘘はつけないね。
まぁ、何かがあるのが人。
こんなことがあるから人は歩んでいける。
ちゃんともう一度向き合おうと思ってる矢先に、
出逢ったお話。
昨日、こちらで書いた記事。
あの番組は。
ロンブーがやっている。
『ザ・ベストハウス123』の中で紹介されていたお話です。
HPからの記事ではありますが、よろしければご覧ください。
■涙が止まらない!感動の実話本BEST3
第1位:娘に残した天国からの伝言
『ゆりちかへ』
著者は、テレニン晃子さん。
晃子さんとともに表紙を飾っているのが、娘の「ゆりあちゃん」。
ガンと闘う母が、2歳の娘に残した本だ。
2002年、4月…。
晃子さんはロシア人のテレニン・レオニドさんと国際結婚。そして…愛の結晶を授かる。
しかし、妊娠5ヶ月目…激しい痛みが襲う。歩けないほどの腰の痛み。
病理検査の結果…脊髄がん。体全体の神経が集中する脊髄がガンに冒され、全身に障害がでやすいうえ、転移の可能性が非常に高い。
薬や放射線を使えば、お腹の子へのダメージは免れない。
自分の命か…子供の命…究極の選択…。
そして晃子さんは、治療ではなく、子供を選んだ。
晃子さんの希望…「ゆりあちゃん」が誕生。1200g、小さな小さな命だった。
晃子さんは抗ガン治療を開始する。だが、病気の進行で、愛する娘を抱く事もできない。
抗ガン剤を服用していたため、お乳を飲ませてあげる事も出来なかった。
晃子さんは、自分の体験をもとに、女の子として、人として大切にして欲しいことを、よそいきの言葉でなく、綴りはじめた。
娘に伝えたいことが、次々と浮かぶ晃子さん。
だが病魔は、晃子さんから、伝言を書く力も奪ってしまう。
残された手段は…声。晃子さんは、ゆりちかちゃんへの伝言をテープに録音した。
今年2月25日。晃子さんは、眠る様に息を引き取った…享年36。
それから、およそ半年。ゆりちかちゃんを訪ねた。
現在2歳5ヶ月。とても笑顔の可愛い女の子、お母さんに似ている。
晃子さんは、本の最後で、こう語っている。「ゆりあ、あなたはママが生きる目的です。」
この本には、娘への愛に生きた一人の女性の人生がつまっている。
第2位:母を励ます、9歳の少年
『がんばれば、幸せになれるよ』
著者は、母親の山崎敏子さん。
小児ガンと戦ったわが子の姿を、母が記した本。
息子、直也君の病名は、ユーイング肉腫という骨のガン。全身に転移しやすく、強い抗ガン剤での治療が必要な、難病。子供には過酷な治療が、始まった。
苦しむわが子に、何もしてやれない。直也君は、痛みに耐え、必死に病と戦っていた。
しかし、ガンは、ついに全身に転移。もはや、なすすべもない状態だった。
この後、直也君は、9歳の子供とは思えない、力強い言葉を発する。
「お母さん、さっきナオがあのまま苦しんで死んだら、おかしくなっていたでしょう。だからナオ、頑張ったんだよ。」
辛さの限界の中でも、直也君はお母さんを気づかっていた。
2001年7月2日。直也君は、静かに天国へと旅立った。享年9。
あと半日という医師の宣告から、2週間がたっていた。
直也君の死から7年。敏子さんを訪ねてみた。現在、妊娠中の敏子さんは、こう言う。
「育てていたつもりが、自分が育てられていたのかも知れない」。
死の直前、直也君はお母さんに、こう言った。
「お母さん、ナオが死んでも、暗くなっちゃダメだよ。明るく元気に生きなきゃ、ダメだよ。分かった?」
第3位:200万人が涙した、あの日記
『1リットルの涙』
著者は木藤亜也さん。
1962年、愛知県に生まれた、ごく普通の女の子だ。始まりは、14歳の誕生日。
夢は、お医者さん。人の役に立ちたいと願う、優しい子だった。
だが!中学3年生の亜也さんを、突然の病魔が襲う。突然、膝がガクっとなって、ずっこけた。
心優しい少女を襲った、病魔の正体。それは、脊髄小脳変性症。小脳が、徐々に縮み、立つ、食べる、話すなど、全てが出来なくなりやがて死に至る難病だ。治療法は…ない。
高校2年の春、ついに一人で歩くことが出来なくなった亜也さんは、高校から養護学校へ編入した。亜也さん直筆の日記には、その時の思いが字とともに残されている。
この言葉が後に本のタイトルにもなった。
病状は日増しに悪化。文字を書こうとしても、手に力が入らず、歪んでしまう。
直筆の日記には、亜也さんの悔しさが、にじみ出ていた。
ずっと書き続けた日記も、思うように書けなくなり、入院。
そんな或る日。母が、病室に戻ると、亜也さんは何かを懸命に書いていた。
その時、目にした娘の悲痛な叫び…。
母は決意する。娘が、必死に書いた日記を本にしよう。
母は、人の役に立ちたいという娘の願いを、少しでもかなえたかった。
出来上がった本をみた亜也さんは、目を丸くして喜んでいた。
それから、1年。亜矢さんは亡くなった。生きた証となる、一冊の本を残して。
その死から20年。
亜也さんの自宅を訪ねた。亜也さんの母、潮香さんに、今でも大切にしている、宝物を見せてくれた。
本にも載せられていない、最後の手紙。
そこには、母への感謝の気持ちが、切々と綴られていた。この本には、人を思う心をなくさず、死の病と向き合った、優しい少女からのメッセージが詰まっている。
ここに載せたのはお話のあらすじ。
この3冊。読もうと思います。
触れたいと思います。
一生懸命生きた人が届けてくれる、教えてくれる『愛』
何か気付かなきゃいけない。。。
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『エブリリトルシング』での心に残っているセリフのひとつ。
『あなたが無駄に過ごそうとしている今日は、昨日死んだ人が痛切に生きたかった明日なんだ』
『執着』と『信念』
『色のない夢の話』
『赤の勝負ネクタイ』
まだ頭の中整理がつかないけど・・・
『答え』出さなきゃいけない気がする・・・
なんだよ、このタイミング・・・
なんだよ、この偶然・・・
なんなんだよ・・・まったく・・・
少しちゃんと落ち着くまで、お休みします☆
ご心配なく(^-^)v
コメントのお返事。
お休み明けに・・・
すみませんが、お願いします
m(_ _)m
暑い日が続いていますね☆
まだなんとなく・・・梅雨明けはされていないですが、
本格的な夏がやってきているそんな感じがあちらこちらで・・・
太陽さんの光が、キラキラからギラギラさんへ。
公園などの木からは、たくさんのセミの声が聞こえます。
各地のお祭りのポスターが貼りだされはじめたりと・・・
『夏』がやってきています!!
いいですね☆夏!!
熱いッス!!
え〜と!!
まずは!
皆様にいいご報告☆
たぶんどこにも出ていない情報GET!!
9月にwowowで!!
『空中ブランコ』再放送決定!!
まだ日時は発表されていませんが、9月の番組表に出ますので!
また分かり次第☆情報載せます!!
これは、wowowさんにリクエストのメールを送ったのです。
そのお返事が来ていて、の情報なので!
間違いないと!思いますので☆
今度は必ず!!
失敗しないです☆
これで少し元気になれました(^-^)
実は今日は寝込んでいます。。。
東京の帰りのバス。
クーラーに体調崩されてしまった私。。。
帰ってきて昨日までは、新しいお仕事を覚えなければいけなかったのもあり、
体調はあまりよくなかったのですけど、出勤しておりました。
昨日お風呂に入った時に、寒気がするなと思っていたのですが、
寝たら治ると!気合いを入れたのですが・・・
今日出勤してからの事。
ぐるぐる眩暈が止まらないし、寒気もすごい。。。
このままだと帰れなくなる。
お昼になる前に早退です。
帰ってきて、さっきまで薬を飲んでぐっすりと。
少しスッキリして、ちょっと息抜きにと、
PC触っています。
明日は、午前中は以前からお休みを頂いているので、
少し楽☆
体調あまりよくなければ無理はやめて、一日お休みする予定。。。
ちょっと、思いました。
週末遠征入れていなくて良かったと・・・
入れてたら、きっと向こうで倒れてる。
ホントは行きたくて仕方ないけど…
体調の事があるので無理はできません(;_;)
今回はいけないのが寂しいけど、大人しく家で療養☆
まぁ・・体調悪いのは今に始まったわけではなく・・・
ここ最近ずっと調子が本調子ではありません。
自分では、自覚しないようにしてたけど。。。
自分に嘘はつけないね。
まぁ、何かがあるのが人。
こんなことがあるから人は歩んでいける。
ちゃんともう一度向き合おうと思ってる矢先に、
出逢ったお話。
昨日、こちらで書いた記事。
あの番組は。
ロンブーがやっている。
『ザ・ベストハウス123』の中で紹介されていたお話です。
HPからの記事ではありますが、よろしければご覧ください。
■涙が止まらない!感動の実話本BEST3
第1位:娘に残した天国からの伝言
『ゆりちかへ』
著者は、テレニン晃子さん。
晃子さんとともに表紙を飾っているのが、娘の「ゆりあちゃん」。
ガンと闘う母が、2歳の娘に残した本だ。
2002年、4月…。
晃子さんはロシア人のテレニン・レオニドさんと国際結婚。そして…愛の結晶を授かる。
しかし、妊娠5ヶ月目…激しい痛みが襲う。歩けないほどの腰の痛み。
病理検査の結果…脊髄がん。体全体の神経が集中する脊髄がガンに冒され、全身に障害がでやすいうえ、転移の可能性が非常に高い。
薬や放射線を使えば、お腹の子へのダメージは免れない。
自分の命か…子供の命…究極の選択…。
そして晃子さんは、治療ではなく、子供を選んだ。
晃子さんの希望…「ゆりあちゃん」が誕生。1200g、小さな小さな命だった。
晃子さんは抗ガン治療を開始する。だが、病気の進行で、愛する娘を抱く事もできない。
抗ガン剤を服用していたため、お乳を飲ませてあげる事も出来なかった。
晃子さんは、自分の体験をもとに、女の子として、人として大切にして欲しいことを、よそいきの言葉でなく、綴りはじめた。
娘に伝えたいことが、次々と浮かぶ晃子さん。
だが病魔は、晃子さんから、伝言を書く力も奪ってしまう。
残された手段は…声。晃子さんは、ゆりちかちゃんへの伝言をテープに録音した。
今年2月25日。晃子さんは、眠る様に息を引き取った…享年36。
それから、およそ半年。ゆりちかちゃんを訪ねた。
現在2歳5ヶ月。とても笑顔の可愛い女の子、お母さんに似ている。
晃子さんは、本の最後で、こう語っている。「ゆりあ、あなたはママが生きる目的です。」
この本には、娘への愛に生きた一人の女性の人生がつまっている。
第2位:母を励ます、9歳の少年
『がんばれば、幸せになれるよ』
著者は、母親の山崎敏子さん。
小児ガンと戦ったわが子の姿を、母が記した本。
息子、直也君の病名は、ユーイング肉腫という骨のガン。全身に転移しやすく、強い抗ガン剤での治療が必要な、難病。子供には過酷な治療が、始まった。
苦しむわが子に、何もしてやれない。直也君は、痛みに耐え、必死に病と戦っていた。
しかし、ガンは、ついに全身に転移。もはや、なすすべもない状態だった。
この後、直也君は、9歳の子供とは思えない、力強い言葉を発する。
「お母さん、さっきナオがあのまま苦しんで死んだら、おかしくなっていたでしょう。だからナオ、頑張ったんだよ。」
辛さの限界の中でも、直也君はお母さんを気づかっていた。
2001年7月2日。直也君は、静かに天国へと旅立った。享年9。
あと半日という医師の宣告から、2週間がたっていた。
直也君の死から7年。敏子さんを訪ねてみた。現在、妊娠中の敏子さんは、こう言う。
「育てていたつもりが、自分が育てられていたのかも知れない」。
死の直前、直也君はお母さんに、こう言った。
「お母さん、ナオが死んでも、暗くなっちゃダメだよ。明るく元気に生きなきゃ、ダメだよ。分かった?」
第3位:200万人が涙した、あの日記
『1リットルの涙』
著者は木藤亜也さん。
1962年、愛知県に生まれた、ごく普通の女の子だ。始まりは、14歳の誕生日。
夢は、お医者さん。人の役に立ちたいと願う、優しい子だった。
だが!中学3年生の亜也さんを、突然の病魔が襲う。突然、膝がガクっとなって、ずっこけた。
心優しい少女を襲った、病魔の正体。それは、脊髄小脳変性症。小脳が、徐々に縮み、立つ、食べる、話すなど、全てが出来なくなりやがて死に至る難病だ。治療法は…ない。
高校2年の春、ついに一人で歩くことが出来なくなった亜也さんは、高校から養護学校へ編入した。亜也さん直筆の日記には、その時の思いが字とともに残されている。
この言葉が後に本のタイトルにもなった。
病状は日増しに悪化。文字を書こうとしても、手に力が入らず、歪んでしまう。
直筆の日記には、亜也さんの悔しさが、にじみ出ていた。
ずっと書き続けた日記も、思うように書けなくなり、入院。
そんな或る日。母が、病室に戻ると、亜也さんは何かを懸命に書いていた。
その時、目にした娘の悲痛な叫び…。
母は決意する。娘が、必死に書いた日記を本にしよう。
母は、人の役に立ちたいという娘の願いを、少しでもかなえたかった。
出来上がった本をみた亜也さんは、目を丸くして喜んでいた。
それから、1年。亜矢さんは亡くなった。生きた証となる、一冊の本を残して。
その死から20年。
亜也さんの自宅を訪ねた。亜也さんの母、潮香さんに、今でも大切にしている、宝物を見せてくれた。
本にも載せられていない、最後の手紙。
そこには、母への感謝の気持ちが、切々と綴られていた。この本には、人を思う心をなくさず、死の病と向き合った、優しい少女からのメッセージが詰まっている。
ここに載せたのはお話のあらすじ。
この3冊。読もうと思います。
触れたいと思います。
一生懸命生きた人が届けてくれる、教えてくれる『愛』
何か気付かなきゃいけない。。。
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『エブリリトルシング』での心に残っているセリフのひとつ。
『あなたが無駄に過ごそうとしている今日は、昨日死んだ人が痛切に生きたかった明日なんだ』
『執着』と『信念』
『色のない夢の話』
『赤の勝負ネクタイ』
まだ頭の中整理がつかないけど・・・
『答え』出さなきゃいけない気がする・・・
なんだよ、このタイミング・・・
なんだよ、この偶然・・・
なんなんだよ・・・まったく・・・
少しちゃんと落ち着くまで、お休みします☆
ご心配なく(^-^)v
コメントのお返事。
お休み明けに・・・
すみませんが、お願いします
m(_ _)m


どーもww
わかります!!ってか優姫ゎエアコンに
あたってたらかならづ体調が悪くなりますよ・・
足痛くなったりとか・・
だから自然の空気で暑さしのいでます!!笑
うわ〜んなける・・
1リットルの涙ゎ小説ってか日記持ってますww
そしてドラマも見ましたが
なけますね!!最高だと思いますww
ほかのも見てみなければ..ww
いいですね〜ww
せりふの一つ一つが優姫の胸にww笑
スッゴい感動する話ばかりですね!!!
(ノ_・。)
こういうことが、私たちの知らないところできっと毎日のように起きていて、
多くの人に知られることなく時の流れにそっと消えていく…
4月から社会人になって、毎日の忙しさとストレスで、こんな感動するものたちを忘れてしまっていたような気がします。
改めて気づかされたことがいっぱいありました*
友得さんに感謝です♪
おはようございます☆
最近暑いですね(>_<)
もぅ、こっちは今日にでも梅雨明けしそうです♪
昨日の大雨が最後かな?とか思ってます。
友得さん体調は大丈夫ですか?
あたしも一昨日、体育の後にクーラーの部屋で授業があり、体調を崩しました;
無理せずに過ごしてください(´A`。)
“空中ブランコ”再放送おめでとうございます!
今度はバッチリ見て、感想をまた聞かせてくださいね♪
涙が・・・
とても感動です(;_;)
こういう事、今もきっとどこかで起きていたりするんですよね。
亜也さんのお話はドラマで見て、とても感動した事を思い出しました。
最近いっぱいいっぱいで、気が付いていない事ばっかりだったので・・・
なんだか、気が付かされた感じがしましたっ
ありがとうございます(^-^)
『あなたが無駄に過ごそうとしている今日は、昨日死んだ人が痛切に生きたかった明日なんだ』
この言葉に似た言葉を聞いたことがあります☆
聞いて、なんで今までこんな日々を送っていたんだろうって夏休みに気がつきました。
その中には、確かに、大切な出来事もあったけど・・・
無駄に過ごした時間は、無駄なままになってしまいました・・・
今年は、こんなこと繰り返さないように、充実した夏休みを過ごしたいです(^-^)
長々と失礼しましたっ
でわ☆
このコメントは管理人のみ閲覧できます
お身体の調子は如何でしょうか。。。
毎日暑いですね(関西は3〜4日前に梅雨明けしました)こんな日の日中は外出は控えられた方が良いですね〜w
一昨年、私の若い友人が筋ジスで亡くなりました。
とても頑張り屋さんで絵を描いたり小説を書いたり、そのうえフランス語教室にも通ってこられてました。
ダンダン不自由になる体で一生懸命生きておられた姿にはかえって誰もが励まされました。
24歳の短い人生を力いっぱい生きた彼女を今でも尊敬しています。